人物・時代
古代の女帝達と周辺の人物・時代の紹介です
額田部皇女 宝皇女 鵜野讃良皇女 阿閇皇女 氷高皇女 阿倍内親王
周辺の人物 系 図 時 代(風 俗)
額田部皇女(ぬかたべのひめみこ)
第33代 推古天皇
554年第29代欽明天皇の第三皇女として誕生 母は蘇我稲目の娘・堅塩媛同母兄弟に橘豊日皇子(用明天皇)・磐隈皇女(伊勢斎宮)・臘嘴鳥皇子・椀子皇子・大宅皇女・石神部皇子・山背皇子 大伴皇女・桜井皇子・肩野皇女・橘本稚皇子・舎人皇女がいる
菟道貝蛸皇女・竹田皇子・小墾田皇女・葛城皇子・う守皇女・尾張皇子・田眼皇女・桜井弓張皇女らの三男五女を産む
576年敏達天皇の皇后となる
592年12月8日即位
628年3月7日崩御
陵墓は磯長山田陵(大阪府南河内郡太子町) 初め、大野岡上陵に息子の竹田皇子と共に合葬されたが、後に遷された
和風諡号 豊御食炊屋姫天皇(とよみけかしきやひめのすめらみこと)
通称して小治田大宮御宇天皇(おはりだのおおみやにあめのしたらしすめらみこと)
漢風諡号 推古天皇関連史蹟 豊浦宮跡(現・向原寺)(明日香村)・小墾田宮跡(明日香村)・海柘榴市宮跡(桜井市)
大野岡上陵(植山古墳)(橿原市)・磯長山田陵(大阪府南河内郡太子町)☆ 雑 文 ☆
日本史上初の女帝。彼女の前にも?な方はいらっしゃいますが、文書にはっきりと書かれているのはこの方から。
父の欽明天皇に相当かわいがられたらしいので、かわいらしく、聡明だったのでしょう。だからこそ馬子も彼女を 大王としたのだと思います。
私のイメージする額田部ちゃんは研ぎ澄ました刃物のような所がある美女です。けれど母性にも溢れていたと思います。
弟妹がたくさんいた彼女なので、よいお姉さまだったのではないでしょうか。もちろん、自分の子供にも。だからこそ、 姪の吉備姫王もかわいがられたという話が残っているのではないかなと思います。
宝皇女(たからのひめみこ)
第35代 皇極天皇・第37代 斉明天皇
594年第30代敏達天皇の孫・茅渟王と第29代欽明天皇の曾孫・吉備姫王の娘として誕生同母弟に軽皇子(孝徳天皇)がいる
第31代用明天皇の孫・高向王との間に漢皇子を産む
舒明天皇との間に葛城皇子(天智天皇)・間人皇女(孝徳天皇皇后)・大海人皇子(天武天皇)の二男一女を産む630年舒明天皇の皇后となる
642年1月15日即位・645年6月14日譲位・655年1月3日重祚
661年7月24日崩御
陵墓は越智崗上陵(高市郡高取町) 娘の間人皇女、孫の建皇子・大田皇女と共に合葬
尊 称 皇祖母尊(すめみおやのみこと)
和風諡号 天豊財重日足姫天皇(あめとよたからいかしひたらしひめのすめらみこと)
漢風諡号 皇極天皇・斉明天皇関連史蹟 小墾田宮跡(明日香村)・飛鳥板蓋宮跡(明日香村)・後飛鳥岡本宮跡(明日香村) 飛鳥川原宮跡(川原寺跡)(明日香村)・朝倉橘広庭宮跡(福岡県朝倉郡朝倉町) 両槻宮跡(双槻宮・天宮)(明日香村)・吉野宮(吉野町)・越智崗上陵(高市郡高取町)
☆ 雑 文 ☆
建築好きで、作った水路を「狂心の渠」とまで言われたほど。確かに作りすぎだとは思います。何か意図があったの でしょうが。
よく蘇我系ではないと書かれた本を見ますが、母の吉備姫王は蘇我系・・・どうなんでしょう、これ?(爆)舒明天皇 とは再婚で、前夫との間に漢皇子と言うお子がいたと日本書紀の斉明紀に書かれていますが、謎の存在。ちょっと興味を くすぐられます(笑)
私のイメージする宝ちゃんは再婚でもいいと舒明天皇に望まれるくらいだから、美人だったと想像。そして感情を 良くも悪くも表す方だと思います。
鵜野讃良皇女(うののさららのひめみこ)
第41代 持統天皇
645年第38代天智天皇の第二皇女として誕生 母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・遠智娘同母兄弟に大田皇女・建皇子がいる
草壁皇子を産む
673年天武天皇の皇后となる
690年1月1日即位(686年9月9日から4年間称制)・697年8月1日譲位
702年12月22日崩御
陵墓は檜隈大内陵(明日香村) 皇族初の火葬に付され、夫である天武天皇と合葬
尊 称 太上天皇(おおきみかど)
和風諡号 高天原広野姫天皇(たかまのはらひろのひめのすめらみこと)
または大倭根子天之広野日女尊(おおやまとねこあめのひろのひめのみこと)
通称して藤原宮御宇天皇(ふじわらのみやにあめのしたしらしめししすめらみこと)
漢風諡号 持統天皇関連史蹟 伝飛鳥浄御原宮跡(明日香村)・藤原宮跡(橿原市)・吉野宮滝宮跡(吉野町)・元薬師寺跡(橿原市) 山田寺跡(桜井市)・檜隈大内陵(明日香村)
☆ 雑 文 ☆
私の古代史好きの原点のお方。某作品の影響が強いので(汗)私のイメージも強いお方ということになってしまいます。
強いといっても、悩みも、苦しみもたくさんあったはず。けれどそれに負けずに前を向いて進んだからこそ強く 凛々しかった女性なのだと思います。
ちなみに「うののさらら」の「う」の字は本来は「鵜」ではないのですが、漢字が出ないのでこれで代用しています。
阿閇皇女(あへのひめみこ)
第43代 元明天皇
661年第38代天智天皇の第四皇女として誕生 母は蘇我倉山田石川麻呂の娘・姪娘同母姉に御名部皇女がいる
第40代天武天皇の第二皇子・草壁皇子との間に氷高皇女(元正天皇)・珂瑠皇子(文武天皇)・吉備皇女の一男二女を産む (吉備皇女は異腹との説もある)
707年7月17日即位・715年9月2日譲位
721年12月7日崩御
陵墓は奈保山東陵(奈良市)(添上郡椎山陵と記録されるが、「延喜諸陵寮式」では奈保山陵と記録されている)
和風諡号 日本根子天津御代豊国成姫天皇(やまとねこあまつみしろとよくになりひめのすめらみこと)
漢風諡号 元明天皇関連史蹟 藤原宮跡(橿原市)・平城宮跡(奈良市)・嶋ノ宮跡(明日香村)・山田寺跡(桜井市)奈保山東陵(奈良市)
☆ 雑 文 ☆
本来なら皇后になるはずだったけれど、どういう運命のいたずらか天皇になってしまいました。中継ぎだと言われて 名前だけの天皇のように言われてますが、決してそんなことはないと思います。
私のイメージする阿閇ちゃんは草壁をとても愛していて、彼を包み込んだ大地のような方です。
氷高皇女(ひだかのひめみこ)
第44代 元正天皇
680年第40代天武天皇の第二皇子・草壁皇子と第43代元明天皇の第一皇女として誕生同母弟妹に珂瑠皇子(文武天皇)・吉備皇女がいる
生涯未婚
715年9月2日即位・724年2月4日譲位
748年4月21日崩御
陵墓は奈保山西陵(奈良市)(初め佐保山陵にて火葬されるが、750年10月18日に添上郡奈保山陵に改葬。 「延喜諸陵寮式」には奈保山西陵と記録されている)
異 称 新家(にいのみ)内親王
和風諡号 日本根子高瑞浄足姫天皇(やまとねこたかみずきよたらしひめのすめらみこと)
漢風諡号 元正天皇関連史蹟 藤原宮跡(橿原市)・平城宮跡(奈良市)・嶋ノ宮跡(明日香村)・奈保山西陵(奈良市)
☆ 雑 文 ☆
「沈静婉戀にして華夏載せ佇り」(「戀」の字は下が女という字なんですが、出ないのでこれで代用します)と日本書紀に
書かれているほどの美女。まさに美貌の女帝です。天皇位に即けるのだから聡明でもある。天は一物もニ物も 与えられたのね!!(笑)阿閇ちゃんと同じく、中継ぎなんて解釈されているけれど、そんなことはないと思います。
私のイメージする氷高ちゃんはかわいい系の美人。まぁ、書いている年代が10代だからですが。年を重ねるにつれて
もっと美しくおなりあそばすでしょう。弟妹思いの草壁大好きなお姉ちゃんです。(ファザコンではないです。断じて)
阿倍内親王(あべないしんのう)
第46代 孝謙天皇・第48代 称徳天皇
718年第45代聖武天皇の第一皇女として誕生 母は藤原不比等の娘・安宿媛(光明子)同母弟に基親王がいる
738年1月13日立太子
749年7月2日即位・758年8月1日譲位・764年10月9日重祚
762年6月出家
770年8月4日崩御
陵墓は高野陵(奈良市)
異 称 高野天皇・法基尼
諡 号 宝字称徳孝謙皇帝(ほうじしょうとくこうけんこうてい)
関連史蹟 平城宮跡(奈良市)・保良宮跡(滋賀県大津市)・由義宮跡(大阪府八尾市)・宇佐八幡宮(大分県宇佐市) 西大寺(奈良市)・唐招提寺(講堂)(奈良市)・高野陵(奈良市)
☆ 雑 文 ☆
晩年の道鏡とのゴタゴタがかなりのゴシップになっていますが、彼女の立場になってみれば、藤原氏の血を唯一ひく皇位
継承者としてがんばって、天皇になってみれば光明子と仲麻呂に政権を握られて、けっこうストレスたまってたんじゃ ないかと。
道鏡と出会ってやっと心が安らいだのでは?ただ、ちょっと愛情表現が一般庶民じゃない立場の方だったので、すごいこと になってしまっただけ・・・と私は思っています。
私のイメージする阿倍ちゃんは、母親の光明子がきつい系の美人だったのに比べ、穏やか系です。氷高ちゃんに密かに
憧れを抱いていたなんていう設定にしてしまいました(笑)